おっちゃんが死んだ


帰りの電車で少し泣いた。
おっちゃんが、死んだ。
この町に、おっちゃんのことを知らない人はたぶんいない。
彼は、この町の子どもたちと、かつて子どもだった大人たち、すべての父親だった。
毎朝、小学校の近くの十字路に立って、子どもたちを見送る。
誰が始めたのかわからないけど、あいさつとセットで時間を聞くのがお約束。
あと少し、校門までの道を急いだりする。

そんな毎日を繰り返す。
僕らは6年、おっちゃんは何十年。
帰り道はうってかわって、わたしひとりのおっちゃんになる。
おっちゃんの店の前を通って家に帰るのは、わたしひとりだった。
幼なじみの住むマンションの前で別れて、そのすぐ先におっちゃんの店がある。
ガラス扉の奥の机に、毎日おっちゃんはいた。
扉が閉まってても届くくらいの声でただいまを言うと、負けずにおかえりの声が飛んでくる。
手招きをして店に招き入れ、みんなには内緒だぞって言いながらお菓子を持たせてくれる日もあった。
少しずつ大人になって、小学校とは反対の方向の駅に向かうようになって、おっちゃんとはあまり会わなくなった。
会うときは決まって近くのバス停。
歩いていては遅刻しそうな日、わたしはバスで駅まで向かう。
毎日おっちゃんはそこの掃除をしていた。
誰が捨てたのかも知れないタバコや空き缶を、毎日拾っていた。
たまに、通りすがりの人の名前を呼んだりして、ひとことふたこと言葉を交わす。
その相手は、女子高生のときがあれば、スーツを着た男の人のときもあった。
今日、帰りになんとなくおっちゃんの店に行くことにした。
夜遅い、普段からシャッターの閉まってる時間帯でよかった。
からっぽになったガラス扉を見たら、心がつぶれてしまいそうだ。

やっぱりシャッターは閉まってた。
毎朝十字路に行くときにおっちゃんが乗ってた自転車が、ぽつんと置いてあった。
亡くなったその日の朝まで、子どもたちの見送りをしていたと、後になって聞いた。

おっちゃんのいなくなったこの町はからっぽになって、その代わり、拾ってくれる人のいなくなったゴミで汚れていくのかもしれない。
そんなことを思った。

おっちゃんが死んだ。
そんな話が町中を駆け巡る。
この町の子どもたちと、かつて子どもだった大人たちが、口を揃えてこういう。
「あの人は死なないと思ってた。」